徒然草 現代ver ー秩序のない現代にドロップキックー

現代社会に対する、筆者独自の考え方を紹介しております。一人でも多くの人のこころが豊かになりますように。。

正しいお金の知識

前回は「好きなことでお金を稼ぐ」ことについて考察した。

そして今回は、筆者がSNSでの発信のメインコンテンツとしてブログを選んだ理由についてお話させていただく。

前回の記事はこちらから。

「好きなことでお金を稼ぐ」とは? - 徒然草 現代ver ー秩序のない現代にドロップキックー

 

本題に入る。

「好きなことでお金を稼ぐ」ためにはSNSでフォロワーを増やし、集客力を上げることが必要である。

 

しかし、こういう考えもできないだろうか。

「十分なお金があれば、働かなくても自由に生活できる」

 

仮に10億円の貯金があるとしよう。10億なんて額のお金があれば、明日にでも仕事をやめて残りの人生を遊んで暮らすだろう。例えばアーティストになりたければ、仕事をやめて、一日中、作曲活動、ボイトレ、路上ライブに没頭すればよい。お金が一銭も入ってこなくても困らないんだから。

 

つまり、お金があれば自由が手に入るのだ。

金銭的自由、時間の自由、選択の自由…

 

自由を手に入れることができれば、

残りの人生を遊んで暮らすこともできるし、ひたすら自分の夢を追いかけることだってできる。

 

なんとすばらしい生き方ではないか。筆者はこうなりたい。

 

では、自由を勝ち得るための富を築くにはどうすればいいのか、筆者なりに調べてみた。

お金を稼ぐためには、正しいお金の知識を得ることが必要だと分かった。どんな競技をやるにもルールを知らなければ勝てるわけがない。

 

では、我々はお金を稼ぐための正しいルールを知っているだろうか。

「いい企業に就職し、まじめに働く」ことだと思っているのなら、それは間違いである。なぜなら、そのように働く周りの大人で、自由な生活を手にしている者はほとんどいないからだ。

 

しかし世の中には、自由な生活をしている人々が実際に存在する。彼らと大半の人々の差は、正しいお金の知識をもっているか否かである。そして、正しいお金の知識は学校では教えてくれない。周りの大人もみんな知らない。

 

裏を返せば、正しいお金の知識を知るだけで、周りとの差を一気に広げ、我々の目指す自由にぐっと近づくことができるのだ。

 

だから筆者はこれからお金の勉強をする。そして、学んだことをブログにアップする。読者の方々にもぜひ、お金についての正しい知識を筆者とともに学んでいこう。

 

じゃあまたね。

 

追記

話が長くなりすぎて、冒頭で申し上げた「筆者がSNSでの発信のメインコンテンツとしてブログを選んだ理由」について書くことができなかった。次回、これについてお話します。

 

「好きなことでお金を稼ぐ」とは?

前回の記事でお話したように、今回から「好きなことでお金を稼ぐ」ために筆者が学んだことを綴っていく。

前回の記事はこちら。

このブログの方針 - 徒然草 現代ver ー秩序のない現代にドロップキックー

 

本題に入る。

まず、「好きなことでお金を稼ぐ」とはどのようなことなのか。好きなこととは、ゲームやスポーツ、音楽などの趣味、他にも、絵をかいたり、作曲して歌うなどの創作活動もある。

 

ではこれらのことを職業として行うことはできそうか。スポーツ選手は狭き門だし、アーティストとして売れることも難しそう。そもそも、職業としてそれができないから、休日に趣味として楽しんでるわけだし。

 

だた、ゲームをプレイしてお金儲けをしている人は存在する。YouTubeニコニコ動画で配信活動をしている人がそうだ。

もちろん、ゲーム実況者の道も十分甘くない。だが、スポーツ選手やアーティストよりかは、なれそうな気がするのではないか。SNSが普及し、子供から大人まで多くの人間が一日の何割かをSNSに費やす現代である。明らかにこの部分の需要は膨らんでいる。

 

受験や就職、恋愛に至るまで、世の中はパイの取り合いである。用意されていたパイが獲得できなければゲームオーバー。そうを考えると、スポーツ選手やアーティストはパイが少なすぎる。ここに挑戦するのはリスキー。

では、先ほど申し上げたように現在パイの数が急上昇しているSNSを利用しない手はない、という結論になる。

 

次に、「好きなことでお金を稼ぐ」ためにSNSをどう利用するかを考える。

先ほどの例でいえば、スポーツや音楽、創作活動をしてお金をもらう、ということ。

どうやって収益を発生させるか。筆者が思いついた例を挙げよう。

 

1.スポーツ(サッカー)

  • サッカーの指導
  • サッカーの大会を開催
  • サッカーグッズの販売

 

2.音楽、創作活動

  • ライブ、個展の開催
  • 作品の販売
  • イベント参加、開催

 適当に考えただけでもこんな感じのやり方がある。

これらすべてに共通して必要なのが

集客力である。

お金を落としてくれるのは、自分の活動に興味をもってくれたお客さんだけなのだ。ビジネスを成功させるためにはできるだけたくさんのお客さんを呼ぶことに尽きる。

 

じゃあ集客力をつけるにはどうすればいいか。これはもうSNSしかない。

読者の方々も、フォロワー数が数千人から1万人以上のインフルエンサーが、自らプロデュースした洋服やアクセサリーを販売したり、イベントを開催しているのを見たことがあるだろう。もしかしたらお金を出して商品を買っている人もいるかもしれない。

フォロワー数が多いということは、それだけ発信力があり、集客に直結するのだ。

 

ということは、まず我々が目指すべきは、SNSのフォロワー数を増やすことである。

そのために、まずはSNSでなにかを発信する。ここで重要なのが、最終目標から逆算して考えることである。サッカーイベントの開催が目標なのに、インスタに料理の写真をあげたり、Tik Tokにわけのわからない面白動画をあげても意味がない。サッカーに興味のあるフォロワーでなければイベントの集客につながらないからだ。

 

また、配信するコンテンツの内容も重視する。人々に「わざわざ自分の時間を割いてでも見に来る価値がある」と判断されるものを配信する。口でいうのは簡単だが、これがなかなか難しい。筆者もブログを書き始めて、そのことの難しさを痛感している。

 

筆者の場合はこのブログをメインコンテンツにしようと思う。筆者の目標も後の記事でお話しよう。

 

まずは行動!目標から逆算し、配信するコンテンツを決めよう。そして実際にSNSにアップしよう。課題はその都度見えてくるはず。

 

じゃあまたね。

このブログの方針

今回の記事は、このブログの方針について。

筆者の運営する徒然草 現代ver -秩序のない現代にドロップキック-」では、筆者が日ごろ感じたことを徒然なるままに記述していこうと思っている。

筆者は物事について考えることが好きなのだが、友達に自身の考えを話すと不思議がられたり、理屈っぽくてめんどくさがられたりする。

しかし時には、興味をもってもらえたり、筆者の考え方やメンタリティがとても参考になる、と喜ばれたりする。

だから、筆者の考えを共有して、少しでも多くの人の役に立てればいいなあ、という思いからこのブログがスタートした。

 

そして今日は、これからのブログにまた新しいコンセプトを加える内容になる。

本題に入る。

筆者は学生なのだが、「仕事」について真剣に考えている。近い将来、自分で働き、生計を立てていかねばならない。そして人生の大半を「仕事」に費やす。どうせなら好きなことがしたい。だが社会はそれほど甘くない。好きなことをしてお金をもらっている人なんか一握りだろう。

 

では現実と向き合い、自分の能力に見合った職業のなかで、なるべく高収入な企業に就職するのか。公務員など安定した職業に就くのか。

 

ヤダ!

 

どうしても、自分のやりたいことでご飯が食べたい!

筆者はとてもわがままである。そして負けず嫌いである。例え周りの人間が夢をあきらめ、現実的な選択をとろうとも、私は決してあきらめない。そう決意した。

 

とはいえ、現実問題、タイムリミットがある。筆者の感覚ではおそらく「大学卒業」が一つのリミット。では、学生のうちになんとかして「好きなことでお金をもらう」状態を作らねばならない。

 

そこで、筆者が「好きなことでお金をもらう」ために学んだことをメモ代わりにブログに書いていこうと思う。このブログの読者の中には、筆者と似たような境遇の方がいるだろう。そんな方々も、筆者と一緒に勉強していこう。そしてぜひ、自身の夢をかなえよう。

 

今まで通り、筆者の考えをつづった記事も配信していく。書き足りないことがまだまだあるから。

 

 

 

 

「おしゃれ」ってダサくない?

筆者の友達にはおしゃれな人が多い。

 

チェスターコートに身を包み、きれいめなTシャツに黒スキニー。さらには指輪やネックレスなどの装飾品でアクセントを出し、足元はドクターマーチンの革靴。

 

「今年のトレンドは○○だよ」

「あのブランドはダサいよね」

 

そんなおしゃれ談義を繰り広げ、挙句の果てには仲間内でファッションチェックが行われる始末。

 

彼らはみんな、おしゃれが大好きだ。

流行に乗り遅れぬように、常に最新の情報を追い求め、

バイトで稼いだお金はみな、毎月のお洋服代に溶けていく。

 

大学生になり、急にファッションに目覚める人も少なくない。

 

筆者も、久々に地元の友達とご飯に行った時に、友達のあまりの変わりように驚いた体験をしたことがある。その友達は高校時代、ファッションには無頓着で、外出時にはいつも全身ジャージだった。さらに彼は、彼女との花火大会に、高校の体操着で出席してしまった強者である。(それはやりすぎかも)

 

そんな彼であるが、先述の食事の際に、拙いながらも頑張ってコーディネートをしてきたのだ。同席していたファッション上級者の友達には「ダサいw」とからかわれていたものの、高校時代からは考えられないような変わりように、私は驚いてしまった。

 

彼が言うには、大学に入り、様々な出会いの中で自身の見識が広がり、身だしなみを整える必要があることに気が付いたようだ。

 

どうやら周りの大学生はみな、ファッションに気を遣っているため、そんな中で自分だけ高校時代のように全身ジャージで人前に出ることに、恥じらいを感じるようになったのだ。

 

そして周りと自分とのギャップを埋めるべく、ファッションについて知り始め、少しずつ周りと同じような恰好ができるようになり、現在に至るようだ。

 

 

ここで筆者にある疑問が生じた。

 

「おしゃれ」って、ダサくない?

 

 パラドックス的な文章であるが、筆者はこれを強く感じたのである。

 

筆者の認識では、「おしゃれ」とは、

他者に「カッコイイ」と思ってもらうために、身なりや服装を洗練すること

だと考えている。

 

では、先ほどの彼はどうだろうか。

少なくとも私は、彼のことを「カッコイイ」とは思えなかった。もちろん、見た目は進化している。かつてのジャージ姿に比べれば、かなりキレイになった。

しかし、彼の恰好は、周りの大学生の真似。彼は没個性化し、多くの若者の中に埋もれてしまったのだ。

 

このことは彼以外にも、多くの若者に当てはまるだろう。

筆者のインスタグラムは同年代のフォロワーがほとんどなのだが、彼らの投稿を見ていると、ほとんどの人物が同じような恰好をしているのだ。

 

なぜなら彼らはみな、「流行」という、全国共通の情報を追い求め、一斉にその真似をするからだ。

 

それが彼らの「おしゃれ」なのだ。

 

ここまでの文章を納得して読み進めてもらえた方にはわかってもらえただろうか。

如何に「おしゃれ」がダサいか、ということが。

 

少々御幣を招く言い方になってしまった。ファッションを愛し、自分の表現方法の一つにしている方々にはお詫び申し上げたい。誤解しないでいただきたいのは、筆者の「おしゃれ」は、上記で申し上げたような特定の場合のみを指す、ということである。

 

話をもとに戻す。ここまで筆者は「おしゃれ」を批判するのみであったので、これより、筆者が考える「かっこよさ」について述べていきたい。

 

先ほどの彼の例では、「おしゃれ」を始めるモチベーションとして、他人に見られても恥ずかしくない恰好をしたい、という思いがあった。

 

が、筆者はそこが引っかかる。

 

 単に見た目の評価だけでなく、

「他人にどう見られているかを過度に気にし、自分の個性、こだわりを曲げてしまった」

という過程まで考えると、私は彼のことをかっこいいとは思えないのだ。

 

筆者の「かっこいい」の定義は、

「自分」をもっていること

である。

「自己」を受け入れることができる人。

誰に何と言われようと決して曲げることのない一本の芯を自分に通している人。

筆者が憧れるのはそのような人物だし、自分もそうなりたいと思っている。

 

どんな人間にも長所と短所(筆者的には長所、短所という表現は適切ではないと思っている。あるのは事実のみであり、それらを各々の都合に合わせて「長所」「短所」に分類しているだけ。このことも後日記事にしようと思う)が存在し、多くの人々は、短所を隠そうとする。なぜなら人は他人に良く見られたいからである。このこと自体はふつうであるし、自分を向上させるための努力だから、むしろいいことである。

 

ただ問題なのが、自分が大切にしている部分を短所だと認識してしまった場合である。このときに、何としてでも、その大切なものを曲げないようにしたい。

 

他人の目がそれほど恐ろしいだろうか。「自分」を曲げてまで、自分をかっこよく見せなければならないのだろうか。

 

他人の評価ばかりを気にしすぎるあまり、自己を否定し、

他人が決めた評価を模倣するだけの「おしゃれ」なんかダサいよね。

 

 

自己を受け入れ、そのうえで自分のすばらしさをアピールできる人のほうが、

確固たる「自分」をもっている人の方が、

 

よっぽどカッコイイと思わない?

 

 

スマイル

筆者はそれほど音楽は聴かない人間なのだが、最近よく聞く曲がある。

森七菜の「スマイル」という曲である。

 

しかし実はこの曲、森七菜の曲ではなく、ホフディランというアーティストのカバー曲だったのだ。

 

もともとこの歌は、ホフディランが1996年にリリースし、アニメ「こち亀」の初期のエンディング曲として使われていたのだ。

 

その曲が時を越え、2020年に森七菜によってカバーされたのだ。

 

スマイルの歌詞に以下のようなものがある。

 

もうすぐだね あと少しだね
その時の笑顔がすべてをチャラにするさ
もうすぐだね 長かったね
はやくスマイルの彼女をみせたい

 

コロナ渦にあり、活気が失われた日本にエールを送るような気がしてならない。このタイミングでこの歌を発掘し、森七菜にカバーさせた人物は天才かと思う。いや、もしかすると森七菜自身がスマイルのカバーを志願したのだとしたら、すごすぎて、筆者は頭が上がらない。精一杯称賛してやりたい。森七菜の頭をぺろぺろ撫でてやりたい。

 

 

本題に入る。

 

私がこの歌を好きになったのには理由がある。

 

スマイルには、SNSなどでの誹謗中傷に対するあるメッセージが込められているのではないか

 

と感じたのである。

 

私はテレビやドラマ、音楽などの作品を鑑賞する際に意識していることがある。

この作品に込められた意図は何か。

を考えることである。

 

クリエイターは作品を通して、私たちに何らかの主張をしている。(と筆者は信じている)

 

「ただ売れたい」「こんな感じの曲なら感動するでしょ」的なノリで作られた、何のメッセージ性もない作品は、クソである。

 

そんな筆者であるが、最初にスマイルを聞いた時は、あまりいい印象を受けなかった。なぜなら、

いつでもスマイルしようね

という歌詞が気に食わなかったからである。

 

この歌のメッセージは、

つらいことがあっても笑顔でいれば、いつかいいことが起きるよ!

的な感じに思われたのだ。

 

しかし筆者は、

つらいことや苦しいことがあったら、我慢しないほうがいい。泣きたいときは泣けばいい。

という考えをもっているため、上記の主張には反対である。

我慢しすぎるとうつ病にもなりかねないし、第一、他人の苦しみなんてわかるわけがないんだから、どうしても笑顔を作れない人に対して、これはあまりにも無責任な主張なのではないかと思ったのである。

 

しかし、改めて考えてみると、メッセージの取り違えをしていたのではないか、と私は感じた。

 

確かに先ほどの考えは、一般的にとらえた場合の、普通の解釈である。

だが、スマイルの終盤の歌詞が、先ほどの解釈を改めさせ、冒頭で申し上げたように、ネットでの誹謗中傷に対する主張に昇華させたのだ。

 

それは以下の歌詞である。

 

かわいくスマイルしててね
人間なんかそれほどキレイじゃないから
すぐスマイルするべきだ 子供じゃないならね

 

その通りなのである。

人間なんかそれほどキレイじゃないから、ありのままの表情を出していてはダメなのだ。

 

これは別に「嘘をつけ」といっているのではなく、

 

思ったことをそのまま口に出すのはやめるべきだ

また、

少々の怒りや不満は水に流してやるべきだ

 

ということである。

 

SNS上で誹謗中傷をする人の動機はいろいろと考えられる。

・単に、有名人に意地悪をしてやりたい

・自分の存在を認めさせたい

とかがあるが、上の2つはもう論外なのでいい。

 

今回考えるのは、

純粋に自分が感じた批判を投稿する行為

である。

 

 

有名人の不倫騒動で

「奥さんや子供の気持ちを考えろ」とか「テレビや映画、CMなどを降板し、関係者に大きな迷惑がかかってるんだぞ」みたいなやつ。

 

あとは、迷惑ユーチューバーに対して

「社会の迷惑だ」「親はなにをしてるのか」

「こいつの動画を面白がってみてるやつも同罪だ」とかである。

 

確かにどれも正論ではある。

だが、これらの発言に対して、筆者はこう思った。

 

それ、言う必要ある?

 

これらの発言をした者の中で、実被害を被った者はどれだけいるだろうか。自分が痛みを味わったから、加害者にそれを伝えてやるのならまだしも、はたから出来事を見て、被害者を自分に置き換え、そして悲しみや苦しみ、加害者への恨みを勝手に想像してネット上に発信する。気持ち悪いと思う。外野は黙れ。

 

ただ、こういった行為をする人間というのは、もともと、自分の感情をすぐに表に出す人物なのだと思う。それがたまたま、スマホをもち、SNSで発信できる環境にいただけなのだと思う。

 

つまり、上記の批判を減らすには、SNSの使い方云々の前に、人として直すべき点があり、それがスマイルの歌詞に込められたことなのではないか、と筆者は考えた。

 

「人間の考えることなんか必ずしもキレイだとは限らないんだから、本能のままに表現するんじゃなくて、心の中で一度吟味してから表に出そうね。」

 

周りの人間に対して少しでも不平不満があると、烈火のごとく怒り始める人。

何気ない発言ですぐに人を傷つけちゃう人。

 

そういう人はぜひこの曲を聴いて、自分の性格を見つめなおしてほしい

なんでも言えば解決するわけじゃないよ。

必要ない批判なら自分の中にとどめて、

 

すぐスマイルしようね。

 

 

 

子供じゃないならね。